加納幸和聞き書き


取材日:二〇一五年十一月二十七日
取材場所:加納幸和邸(東京都世田谷区玉川)
取材者:日比野啓・児玉竜一・大原薫
編集・構成:大原薫
監修:加納幸和・児玉竜一

イントロダクション


 演劇はその成り立ち上「贋物」なのに、「本物」を装う。すでに存在している何かの物真似、模造品なのに、オリジナルであり、リアルであるかのように観客に信じ込ませようとする。
 近代以降、リアリズムのイデオロギーがその傾向に拍車をかけた。虚構に過ぎないものを「真実」だと言いくるめる詐術が幅を利かせた。一方で、自らの贋物性について自意識過剰気味に言及するメタシアターの趣向も用いられるようになった。それは真実と虚偽、本物と贋物、独創と模倣という二項対立に演劇がいかに囚われてきたかを示す。本物になれないと思い込んでいるからこそ、自らが贋物だと喧伝する。真実を表現したいと考えているからこそ、自分が虚偽でしかないことを暴露してみせる。
 日本の戦後演劇もまた、このような二項対立に囚われてきた歴史を持っている。新劇や小劇場では、「本物」の不在の間に贋物が跋扈するという物語が繰り返し上演された。「ごっこ」が本気になる、虚構(=演技)と現実の境目がぼやけるという主題もまた、演劇の歴史始まってからこの方お馴染みのものとはいえ、日本の新劇や小劇場はとくに好んで扱ってきた。
 戦後演劇で例外的にこういった神経症的苦悩とは無縁だったのが商業演劇だ。新劇や小劇場が「本物」「現実」でないことの劣等感を自らの表現に取り込んでいったのとは対照的に、商業演劇は堂々と「パチもん」を――どこかで聞いたことがあるような物語を――上演し続け、そのことを恬として恥じなかった。商業演劇に携わる多くの演劇人にとり、演劇の贋物性は自明であり、わざわざ吹聴することではなかった。
 この点で、八〇年代小劇場演劇は戦後商業演劇と軌を一にしていた。なるほどこの時期には、メタシアターが流行り、「本物」の象徴としてのゴドーがやってこないことを芝居に仕組む作品がいくつも書かれたけれど、「本物」や「現実」への隠れた憧れなぞまるで見せずに、虚構や表象に耽溺する作品のほうがはるかに多かった。
 このような見取り図と照らし合わせれば、花組芝居の主宰者・加納幸和が早くから商業演劇に手を染めることになったのは一種の必然だったとわかる。小劇場ブームの最中の一九八七年に結成された花組芝居は、その初期に「ネオかぶき」を標榜し、「高尚になり、堅苦しく難解なイメージになってしまった歌舞伎を、昔のように誰にも気軽に楽しめる最高の娯楽にするべく『歌舞伎の復権』」を目指」した。この宣言は(誰も見たことのない)「始源」への回帰を希求する点で、モダニズムとその影響下にあった六〇年〜七〇年代の歌舞伎研究の基本的枠組みに回収されるようにも思える。けれどその眼目は、権威——花組芝居の場合は、おもただしくなってしまった歌舞伎——から軽やかに逃れて、薄っぺらな模造品を堂々と上演する、という八〇年代小劇場のエートスを体現していたところにあったろう。近年の花組芝居は「近世と地続きの現代演劇」を目指し、いっそう多彩な演目を上演するようになったが、その大元は変わっていない。演劇が作り物でしかないことを十分承知の上で、作り物としての精巧さを追求すること。その意味では、加納にとって商業演劇も花組芝居も目指す方向は変わらなかった。
 戦後の商業演劇の作り手たちの「娯楽主義」「形式主義」を継承したのが八〇年代小劇場演劇であったと考えれば、加納をはじめ八〇年代小劇場演劇の担い手たちが商業演劇で活躍する現在の状況は不思議ではない。だが加納は多くの八〇年代小劇場の作り手たちとは異なる。加納には、幼少時より歌舞伎を見続けてきたことで培われた一種の演劇的教養というべきものがあった。このような教養があると、薄っぺらな模造品は作りにくいものだ。もっと重厚な「本物」を手がけたくなる。実際、八〇年代小劇場演劇の担い手たちの中には、後年演劇的教養を身につけるようになって、そういう方向に向かう人々もいた。あり余るほどの演劇的教養を持ちながら、演劇はそもそも薄っぺらな模造品なのだ、と当初から見切っていた加納のような人を私はほかにほとんど知らない。商業演劇に携わるにあたって、この「覚悟」のようなものがあるかどうかはとても重要だと私は思う。
 一九六〇年生まれの加納はこれまでの聞き書き対象者の中でもっとも若い。一九九四年に故・十世坂東三津五郎の依頼により創作舞踊劇場で栗本薫『南総里見八犬伝』を演出したことを皮切りに、一九九九年に帝国劇場で浅丘ルリ子主演『西鶴一代女』を、二〇〇二年に新橋演舞場で新派公演「花たち女たち」 を演出し、ほぼ同時期に東宝・松竹で商業演劇を手がけた。その後も演出・出演を続けているから、商業演劇との縁は浅くはないものの、主たる活動は花組芝居であり、商業演劇プロパーとは言えない。
 それでも加納さんに伺ったお話をこの「日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」に収録しようと考えたのは、上述したような商業演劇と八〇年代小劇場の連続性を考える上で加納さんのお仕事は欠かせないからであり、また小劇場演劇という「外部」から関わってきた商業演劇がどう見えているのかを知りたかったからだ。後者の意味では、聞き書き最後近くで加納さんが「僕は経験上、商業演劇へ入って、『わかりました』」と言ってやろうとしても、いろいろな要素を掛け算にするという所までどうもできない」と発言されているのは興味深い。ご謙遜からの発言には違いないが、加納さんほどの才能を持ってしても、商業演劇の現場で時々生じる「掛け算」という奇跡――出演者たちの力量がただ足し合わされた結果ではなく、本来の力量の何倍にもなった舞台が出現するという奇跡――は「作る」ことができるものではないことを私たちに教えてくれるからだ。数日で書き飛ばされた台本や人気をあてこんだだけのキャスティングから不朽の輝きを持つ作品が突如生まれる「謎」に、私たちを惹きつけてやまない商業演劇の魅力がある。「日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」を運営し聞き書きを続けるのは、その謎を解き明かすためでもある。
 十年ほど前にも、今回聞き書きに参加してくれた児玉竜一と私で加納さんのお話を伺ったことがある。率直に語ってくださりながらも露骨さや底意のない、穏やかで実直なお人柄が現れたお話しぶりにはその当時にも感銘を受けたが、今回もまた、答えにくい質問にもにこやかに答えてくださり、お話を伺いながら引き比べての己の雅量のなさ、育ちの悪さをひしひしと感じることとなった。才能と人柄の良さは比例するのだとは聞き書きをするたびに思うことだが、今回もまたそれを思い知らされた。(日比野啓)

幼少期から歌舞伎がスタンダードだった


日比野 加納さんは幼少期から歌舞伎に親しんだということですよね。では、加納さんが三越劇場で『花咲くチェリー』をご覧になって感動したというのは、いつ頃の話ですか?
加納 学生のときですね。北村和夫さんと荒木道子さんがご夫婦の役をやっていらっしゃっていて。[一九八〇年三越劇場文学座九月特別公演]
日比野 『花咲くチェリー』は新劇ですが、歌舞伎以外のお芝居を最初にご覧になったのは?
加納 一番最初は学校の体育館で見た、アイヌの熊祭りを題材にした話でした。おそらく人種問題かアイヌ文化をテーマにしたかったんだろうけれど、話が暗くて。アイヌの土着の話で色彩が限られていて陰気なお芝居でしたね。子供心にも「こんなものを同世代に見せたら芝居が一気に嫌になっちゃうよ」と思ったのは確かです。すでに歌舞伎を見ていたので。
日比野 小学生ですか。
加納 小学校の低学年だったと思うんですけど、歌舞伎を見ていましたので「歌舞伎の方がよっぽど面白いのに」という印象は大きかったですね。
日比野 だいたい学校へ来るのは、そういうものが多いでしょうね。
加納 やっぱり今もそうなんですかね。それこそ五〇年近く前です。あとは学校から劇場へ行ったのは劇団四季の子供ミュージカルだったように思いますけど。日生劇場でやった『ふたりのロッテ』だったかな。あれはよくできているなとは思いましたね。
日比野 それはご自分で見に行ったんですか。
加納 いや、学校の団体で。おそらく二階席で見ていたような記憶がありますね。それは小学校の高学年か中学年。
児玉 もうその時点で、見る立場としては「よくできているな」なんですね。
加納 そうですね。『ふたりのロッテ』といっても、双子なのにちっとも似ていないな、でも金髪だから一緒にしてるのかというように見ていましたね。生意気ですね。
日比野 小学生のときに芝居をやる機会はありましたか。我々のころは、クリスマス会とかありましたけど。
加納 たまたまなんですけど幼稚園がカソリックで、卒園の直前に聖誕劇をやったんですよ。好きな女の子がマリア様の役に決まって、旦那の役がやりたかったのに博士の役になっちゃって、ちょっとブーたれていたという記憶がありますね。
日比野 それでは幼少期から歌舞伎がスタンダードで、それから新劇などを見るようになった。
加納 歌舞伎からの比較でしか見ていなかったんですよ。ひどいものですね。
児玉 国語の時間はいわゆる朗読の時間とかなかったんですか。
加納 たまたまなんですけど、戦前のいわゆる師範学校を出たという五〇代の女性教諭が、僕が歌舞伎が好きだということをすごく褒めてくれて。えこひいきみたいな形で「あなたはいい趣味を持ってますね」と言われて、授業でも「この頁を読め」とか、学芸会でも「浦島太郎をやれ」と言われたりしてました。
児玉 きっと主役で、演出も兼ねていたわけですか。
加納 そんなことはなかったです。みんな、先生が言われるとおりにやっていましたね。
日比野 そうすると、初めて歌舞伎以外で感動なされたのは、その『花咲くチェリー』まではなかった。
加納 感動は、なかったですね。歌舞伎以外で一番大きかったのは[坂東]玉三郎さんの『天守物語』初演。これは僕が一七歳のときで、日生劇場の上演で『班女』と併演だったんじゃないかな。増見利清さんが演出で高田一郎先生の装置で、そうそうたるメンバーでしたよね。[二代目中村]芝鶴(一九〇〇——一九八一)さんも出ていらしたし、当時の[三世中村]梅枝さん、今の[五世中村]時蔵さんが亀姫で。
児玉 三沢慎吾[現在は水澤慎吾]が出られましたね。
加納 そうです。オーディションで三沢慎吾さんが抜擢されていて、小沢栄太郎さんが近江丞桃六だったんじゃなかったかな。コロンボの小池朝雄さんが朱盤坊だったんですね。南美江さんが薄で、とてもよかった印象があって。
 当時はやっていた富田勲さんの既成の曲とか新曲も使っていらっしゃったと思うんですけれども。僕はずいぶんいい年になってから高田一郎先生に直接お会いできて、「『天守』の初演を見たんです、あれはよかったですね。黒光りしていましたね」と言ったら「そうか、ありがとうね、あれは漆の蒔絵をモチーフにしたんだよ」と言っていただいて。あれはピカイチでしたね。
児玉 そうですね。
加納 歌舞伎の世界に入るということは、もちろん早い時期に挫折はしたんですけれども、『天守物語』を見たときに、「あれ、歌舞伎以外にもこんな舞台を作ることがあるんだ。ということは、この世界に入ってもいいかもしれない」と思い出した最初ではありましたね。僕が一七歳で、玉[三郎]さんがちょうど一〇年違いますから、二七歳なんですよ。二七歳であの主役をやって、びっくりでしたね。
児玉 昭和五十二年[一九七七]の公演ですね。あの公演はLPレコードになったんですね。
加納 はい。
日比野 そうすると、歌舞伎以外の商業演劇は、もちろん泉鏡花というのは別格として、それほど近しい存在ではずっとなかった。
加納 そうですね。
児玉 新派はご覧になっていた?
加納 見ていなかったんです。『瀧の白糸』を何かテレビでちょっと見た記憶ぐらいで、ちゃんとは見ていなかったんですよ。あのころはまだ、新派は花柳[喜章](一九二四——一九七八)さんはぎりぎりで見ようと思えば見られたんですけど、見ていないんですよね。
児玉 噂に聞く安冨順との出会いというのが、『瀧の白糸』がきっかけだったと。補足しておきますと、安冨順は花組芝居旗揚げメンバー[現在は白百合女子大学講師]で、初めて会ったのが高校のときですか、中学のときですか。
加納 高校です。日大三高で一緒で。今は共学になりましたけど、当時は男子校で赤坂にあって、バンカラな連中が多かったんですよ。記録だと亡くなった[六世]尾上菊蔵(一九二三———二〇〇〇)さんも三中だか三高のご出身[日大三高中退]でいらっしゃって。下町の連中が多くて、バンカラで、その上ヤンキーだから古典芸能をどうとかという世界ではなかったんですよ。でもたまたま友人と僕が休憩時間に雑談をしていたときに、『瀧の白糸』という単語を口にしたんです。どうせ誰もわからないだろうと思ってました。
児玉 そうしたら端の方で、「はいはいはい」といって、[『瀧の白糸』でもっともよく知られている場面の]水芸の振りを始めたのが安富順だったと。
加納 水芸始めた男がいたので、「お前は誰だ」と。
児玉 そこから数十年に渡る友情の始まりという、いい話です。
加納 そうです。
日比野 じゃあ、新派もご覧になっていらっしゃらなかったとなると、初代水谷八重子(一九〇五—一九七九)はご覧になっていますか。
加納 先代は映像で見ました。生では見ていないですね。
日比野 他の商業演劇あるいは新劇はどうですか。杉村春子は、いつごろからご覧になりましたか。
加納 もう大学に入ってからですね。『地獄のオルフェ』の、あれはサンシャインだったかな。太地喜和子さんと江守徹さんが出てましたね。[文学座・松竹提携公演一九七九年五月サンシャイン劇場]杉村春子さんが、まだ若々しい江守徹さんと恋人の役で、さすがにもう年齢が年齢なので、僕が見に行った日は「あなたの子供ができちゃった」という台詞のときに、お客が失笑しましたからね。あれはちょっとかわいそうだなと思ったんですけど。それはもう、とんでもない日に見ちゃいましたね。
日比野 とんでもない日なのか、それとも毎日なのか。
加納 毎日そうだったのかも分からないですけど、これは役者は気が悪いなと思って見ていましたね。
児玉 山本安英(一九〇二—一九九三)はご覧になりましたか。
加納 山本安英さんは『子午線の祀り』でぎりぎり。あれは再演だったんじゃないかな。国立劇場でした[山本安英の会一九八一年五月、国立劇場小劇場]。演劇学科の学生なものですから、アルバイトで「バラシを手伝え」といわれて借り出されまして、それで「ついでに見ていいよ」と言われて、生で拝見しました。噂に聞いた山本安英、さすがにもうちょっとご老齢でいらっしゃって。
 しかもバラシが始まって、楽屋口で僕は言われるがままに何かを運んでいたとき、現場のスタッフが「先生、危ないですよ」というんで、ふっと振り向いたら、本当にこんなおばあさんが「へえ」と振り向いていた。これが山本安英かと思いましたね。それがぎりぎりでした。まだ[野村]万作さんが義経をやっているときです。
児玉 義経、あれはよかったですね。
加納 よかったですね。滝沢修さんもおやりになっていて、嵐圭史さんも。
児玉 そうですね。意外と観世栄夫さんの平宗盛というのがいいんですよね。
加納 栄夫さんはよかったですね。
日比野 新国劇はどうだったんですか。
加納 新国劇、これも見ていないんですよ。本当に歌舞伎一辺倒だったもので。逆に、歌舞伎に似ているから見なかったというのもあるかもしれないですね。
児玉 藤山寛美も。
加納 寛美さんは、ぎりぎり見ています。新橋演舞場だったと思いますね。
日比野 大阪までは見に行かなかった。
加納 行かなかったです。だから中座も本当に行ったことがなくて、一九九四年に花組芝居が『雪之丞変化』を持っていったときに、初めて中座に入ったんですよ。
児玉 こんな汚い劇場かと思いますよね。
加納 びっくりしました。最後の[火事で]焼ける前[二〇〇二年九月、解体作業中の中座は作業員のミスでガスが漏れ、引火して爆発炎上する]だったので、「もうぼろぼろです」と言われて。その月にミヤコ蝶々さんの舞台があって、「現代劇で舞台にパンチを敷いています」と。「パンチははがしてください」と言ったら、「いや、もう床がボロボロで、パンチをはがすとえらいことになります」って。「うわ、裾を引くけど、しょうがない、まあいいか」とそのままやったんですけど、ちょっと覗いたら木と木の間が朽ちて、穴が空いて奈落が見えちゃうんですよ。
 盆にせりがくっついているんですけど、「盆が回っているときは絶対に奈落を通らないでください」と言われて。聞いたら、盆のせりがボックスごと回ってくるので、それに当たって負傷する人間が何人もいたと。奈落か何かの隅の方に慰霊碑かお墓があったのが、ちょっと嫌な感じだったというのは記憶してますね。中座は[祀ってあるのが]お狐さんじゃなくてお狸さん。四国から芝右衛門[柴右衛門]大明神というお狸が通人に化けて、歌舞伎を見に来たという。
児玉 中座の。三田純市さんが書いている伝説ですね。
加納 そうですかね。奈落のちょうど花道のつけ際のあたりに、お狸さんのご容姿で祀ってあって。「狸を祭っているのは、ここだけです」という説明を受けました。
児玉 「楽屋にゴキブリが出るんだ」といって、(中村)勘三郎は喜んでいましたけどね。「太郎ちゃん、花子ちゃんが出てくるんだよ」って。
加納 そうですか。「せっかくだから寛美さんの部屋を使いますか」と言われて使ったんですが、一階の一番奥のいい部屋なんですけど、建物の角ですから顔[舞台化粧]をしてると、「一時間八〇〇円、一時間八〇〇円」と聞こえてくるんですよ。「そうか」と思って。昔のいわゆる色街と一緒だということでしょうね。芝居を見た後におピンクもたくさんあってというのが、これぞ昔の芝居町といわれているものだなと思いましたね。
児玉 寛美さんは、あそこに泊まっていたんですものね。
加納 そうですよね。楽屋口近くの焼き鳥屋さん[「おか輪」]にもそう聞きました。有名な話で、[寛美さんは]夜お一人で食べにいらっしゃると。その焼き鳥屋さんはそのときはもう二代目さんがおやりになっていて、今も残っているようですね。

初の商業演劇演出は創作舞踊劇場


日比野 では、具体的に加納さんがどう商業演劇のお芝居と関わってきたかということについて、お話をお聞きしたいと思います。
加納 はい。
日比野 最初に商業演劇の演出をされたのは踊りの会で、第十一回創作舞踊劇場『南総里見八犬伝』[一九九四年]でしょうか。
加納 はい。
日比野 演出をされたきっかけは。
加納 きっかけは亡くなった[十世坂東]三津五郎さん、当時[五世坂東]八十助さんから直接ご連絡いただきまして。「これを引き受けてもらいたいんだけど、あなたの演出家としての履歴にプラスになるかどうか分からないが、やってくれないか」というんですよ。「何かあったら僕が全面的にバックアップするので、壁になってあげるから」といわれて。そこまで言われたらそれは引き受けざるを得ないです。
 それで世話をしていただいて、亡くなった栗本[薫]さんのご本でやらせていただきました。
 この公演は会場がメルパルクだったんですよ。歌舞伎好きな栗本先生は、三方掛合でもって、盆はぐるぐる回る、大ぜりは上がったり下がったりするという台本を書いてきちゃって。でも、メルパルクはせりが一個しかない。花道だって斜めだし、盆も何もないのにこんな本をどうやって演出すればいいんだって。それで作曲をお願いした常磐津文字兵衛さん、今の都一中さんに、「三方掛合と書いてあるんですけど、どうしましょう」と言ったら「僕は無門斎という名前を持っているから、無門斎の名前でもって、常磐津も長唄も清元も作曲しましょう」とおっしゃって。「お金がないといっています、演奏者はどうしますか」「いや、僕がやります」といって、演奏を仕分けてやっていただいたんです。
 それで長唄だけは入れたいというので、稀音家六綾さんが教えてらっしゃる女子大の長唄研究会の方にお願いをして、ずらっと三十人だか並んでいただいて。芳流閣で終わる本だったんですけど、芳流閣の瓦の見立てでもって四段ぐらいの雛壇に長唄の方がずらっと並んでいただいて、合奏していただきました。
日比野 それは、すごいですね。
児玉 NHKで一部何か放送しました。
加納 そうでしたかね。
児玉 ええ、「おお、加納さんが日舞の演出してる」と思って見た記憶があります。でも、三津五郎さんは実際本当に盾として機能してくださったんですか。
加納 そうでした。演出家の僕は小劇場のぺーぺーで、舞踊家は皆さんそれなりの方がいらっしゃったので、みんな「八十助さん、これはどうしましょう」と聞きに行くんですよ。「それは演出家に聞きなよ」って、常に立ててくれて。
 そのときは衣裳デザインも担当して、それで網乾左母二郎の役を[斧]定九郎風に絵を描いたんですが、うっかりというんじゃないですけど、悪役だからというので青黛を書いちゃったんですよ。そうしたら「定九郎は青黛しないんだよね、どうする」と言われて。結果的には「そうですね、青黛なしでお願いします」となって。
日比野 お手並み拝見みたいな感じで。
加納 だったとは思いますけどね。でも皆さんに「古典というのは面白くて斬新だし、僕はそれに感動して歌舞伎のファンになった人間です。皆さんはともかく古風にやってください、古風にやってください」と言って。それを本当に苦心してくださったんです。ともかく作曲も都一中さんに「こんなものをまともにやったら四時間かかりますよ」と言われたんですが、どうしても二時間に収めなきゃならなくて、早めに早めに進めないといけない。何幕何場となっているのを、幕を閉めたら、それが道具幕で次のシーンがすぐに始まるという形で、どんどこやって。「止め柝がそのまま開幕の柝というふうにしてもいいでしょうか」と八十助さんに言ったら、「アナーキーだね、いいね」って。その言葉はすごく覚えていますね。
児玉 そのころはまだ、スーパー歌舞伎でさえも、道具幕の前で芝居をやることはあんまりしませんでしたね。
加納 しませんでしたよね。
児玉 宝塚ぐらいでしたよね。
加納 はい。
日比野 そうすると、演奏はテープだったんですか。
加納 いや、生でした。
日比野 生で歌っていたと。そうすると、その三方掛合を一人で全部やったというのは。
加納 都一中さんに相談して、常磐津の連中が上手の山台に座って、そこで清元風なものを演奏したり、常磐津風なものを演奏されたりということを全部やっていらっしゃいました。長唄だけが三十人で。
日比野 別に場所を移動しながら演奏したわけではない。
加納 そんな時間も全然ないので。
日比野 どうやってやったんだろうと思ってました。このとき栗本薫の脚本というのは、すぐに上がってきていたんですか。
加納 上がってきましたね。栗本さんは、お早い方みたいでしたね。
日比野 本人としては[歌舞伎、舞踊劇は]初めてではないんですか。
加納 何本か書いていらっしゃいました。
児玉 初めて上演された歌舞伎作品『変化道成寺』が、一九八六年の六月[歌舞伎座]ですね。
加納 [七世尾上]菊五郎さんがおやりになった。
日比野 じゃあ、加納さんはこの作品が商業劇場のものとしては初めて。
加納 大きな規模の現場は、これが初めてです。しかもダブルキャストでしたね。いろいろな方がお出になっていたな。

帝劇初演出ですべての舞台機構を駆使


日比野 加納さんが帝国劇場で初演出した、浅丘ルリ子さん主演の『西鶴一代女』[一九九九年]。浅丘さんとはこのときが最初で、この後何度かお仕事をされているんですけど、どんな印象をお持ちですか。
加納 もう本当に雲の上の人なので、どんなことがあるんだろうと思っていろいろ考えていたんですが、意外に気さくな方でしたね。功成り名を遂げているから、そんなに偉ぶる必要もないということもあるんでしょうけど。僕ら何人かは終演後とかに[ご挨拶に]行ったときに、素顔を拝見しています。マネージャーの方に聞いたら、「昔は絶対無理だったけど、最近は見せちゃうのよ」といって。僕ら限られた人間だけでしたけどね。
大原 演出をしていて、お話を聞いてくださる方なんですか。
加納 そうです。「こうしてください」というと、「はいはい」って。「ミュージカルにしてくれ」と言われたんですけれども、堀井[康明]先生から「僕は歌詞が書けないからよろしくね」と言われて。脚本は上がらない、音楽も頼まなきゃいけないからというので、歌詞は全部先に僕が作っちゃったんですよ。脚本が上がっていない状態だったので、「どうしよう、じゃあ、五人女だから、五つ曲を書けばいいのか」ということで勝手に書いて、一曲だけボツになっちゃったり。
日比野 やっぱり東宝としては若手の演出家を育てたいというような気持ちがあったんですか。
加納 それは、実際そうだったんだと思います。ですからバックアップをしてくれて。「三十九歳で帝劇初演出」というのは蜷川さんの次だったんですよ。
日比野 そうですね。
加納 はい。それで、すごく押していただいていて。東宝さんは非常にバックアップしてくれて、とってもありがたかったです。舞台美術は古川雅之で、今は新派や歌舞伎も担当している大学[日本大学芸術学部]の後輩で、プランナーで、発注図面はもとより、書割まで描けちゃうというあの世代ではめったにいない人間なので彼に頼んだんですけれども。他の劇場に行かない帝劇オンリーの上演だったものですから、帝劇の舞台機構を全部使いたいと。それでせりから盆から全部使いました。スライディングステージがあることは知っていたので「スライディングを使いたいんです」と言ったら、「いや、スライディングはもうここ十何年使っていないので、故障するかもしれないからやめてください」と言われたんです。でも、前の月か何かに全部メンテを入れてもらって、「大丈夫です」ということになって、「すわ」ってことで、スライディングも使ったんです。もう最後の最後、古川君が「加納さん、ここにもせりがある、あれも使おうか」「使おう、使おう、全部使っちゃえ」って。
 舞台稽古に、これも大学の一年後輩の[東宝演劇部の演出家]山田和也が見に来ていて、終わった後にすーっと寄ってきて、「こんなに使っていただいて、泉下で菊田一夫先生がお喜びでしょう」って。
日比野 いい話ですね。
加納 それと、うち[花組芝居]の役者、桂憲一と植本潤と佐藤誓がいわゆる看板[役者]扱いで。看板という単語を知ったのは、そのとき初めてです。看板って最初は何だろうと思ったら、「チラシの表に顔写真が載っている人です」って。
日比野 帝国劇場で次に加納さんが関わったのは、『憎いあんちくしょう』[二〇〇二年]。これは徳次郎役で、俳優としての出演でした。
加納  [演出の]久世光彦さんと初めてやらせていただきました。蟹江敬三さんも斉藤由貴さんも初めてで。
日比野 これは加納さんにお声がかかったのは、東宝サイドなのか、浅丘ルリ子さんサイドなのか。
加納 どうなんでしょうね。ちょっとそれはわからないですね。もしかすると原案の鈴木聡君が候補に挙げたのかもわからないですね。
日比野 東宝とのお仕事というのは、この後は帝劇など大劇場ではない。
加納 そうですね。浅丘さんもあんまりなかなか大きいのをおやりにならないようになったということもあるんじゃないでしょうかね。
日比野 確かにね。加納さんは、小劇場出身者としては蜷川さん以来の東宝で演出家を三十九歳で任され、しかも東宝、松竹ほとんど同時にデビューという、非常に恵まれていらっしゃった。
加納 そうでしたね。ですから非常にありがたかったです。両方のシステムがよく分かって。これもまたのちの話ですけど、僕は最初に帝劇でやらせてもらったので、松竹はいろいろシステムが違って「どうなってるんだ」と思ったんですけど、いのうえひでのり君は最初に松竹でやったものだから、帝劇でやったときには、「もうちんぷんかんぷんだった」と言ってましたね。
日比野 二〇〇二年のJIS企画・森崎事務所企画の『今宵かぎりは…~1928年超巴里丼主義宣言の夜~』の話をお聞きします。加納さんは[藤田嗣治をモデルとした]オカダ・レンジ役で出演です。これは商業演劇と言えるかどうかは分からないんですが、ジャニーズ事務所とホリプロ[ブッキングエージェンシー]が協力として関わっている公演です。
加納 関わっているからといって、特に何かということは一切なかったです。これは佐野史郎さんと竹内銃一郎さんが、「不条理劇をやりたい」というような企画でやっていらっしゃったので、現場は本当に僕らの小劇場か、もしくは新劇の公演と同じような稽古でした。

「ネオ新派」の看板を掲げて


日比野 いよいよ、一番お聞きしたかった『花たち女たち』の話に移ります。二〇〇二年新橋演舞場での新派の公演です。加納さんは演出と、仙吉という役で出演もしました。
加納 メンバーがすごかった。しかも現場に行ってみたら新派の方も日芸出身の大先輩が多くて、「同窓だね」「あなたもそうなんですか」みたいな方がいて。新派の方々の底力というのを目の当たりにして、それはびっくりしましたね。衰退したとか言われたんだけど、昔からいらっしゃる方の力はすごいものがあるなと。それは感激しましたね。
日比野 一條久枝さんとか。
加納 そうなんです。稽古着でぽっと出て来て、ふっとせりふを言うと、役の人物らしいんですよ。何でこんなに「らしい」んだろうというのと、ご高齢なんだけど、マイクなしで本当に朗々と声が響くんです。といって常日ごろ鍛えているというわけじゃないんですよ。長年のうちに声帯がそうなっているんですね。帝劇のときはマイクがあったんですが、僕が初めて演舞場に立ってみて、やっぱり歌舞伎の芝居小屋というのはいい具合に声が響くんですね。反響がちゃんと聞こえるんですよ。だからどこまで届いているかがわかる。それがわかるものですから、いくらでも音量が下げていけるんです。「これぐらいでも通る」みたいに。
日比野 ちなみに稽古はどのくらいおやりになりましたか。
加納 一カ月でした。どうするんだろうと思ったら、一カ月やりますとおっしゃって。新作だということもあったんだと思います。東宝では別々に舞台化した有吉佐和子の『芝桜』と『木瓜の花』を、一つにしたいという大変な企画で、もうそんなことできるのかと思って。それで、じてキン[自転車キンクリート]の飯島早苗ちゃんがいいんじゃないかって僕が推薦をしました。飯島早苗さんのお母様が、何か昔ちょっと新派の方と関係があったらしくて、「じゃあ、私、やります」と引き受けてくれて、あの膨大な原作をぎゅっと凝縮してくれた。帝劇のときと同じスタッフで、装置は古川君で、照明は吉澤耕一さんで。
児玉 そもそも演出をという話は、これは松竹から来たんですか。
加納 はい。
児玉 役者さんはその時点では、お知り合いはいらっしゃらなかった。
加納 はい、近藤正臣さん以外、誰もいないです。近藤さんとはその前にちょっとニアミスしていまして。中座で『四谷怪談』をやるという企画があって、青井陽治さんが演出だったんですね[『新・四谷怪談 ~愛しやこちの人~』一九八九年七月]。そのときは八重子さんがまだ良重のころで、良重さんがお岩さんで近藤さんが[民谷]伊右衛門だったんですよ。青井陽治さんが「ちょっと[企画に]噛んでくれないか」とおっしゃったんですけど、花組芝居の公演がぶつかっていたものですから、「『四谷怪談』はうちで何度もやっているので資料はたくさんありますよ。資料をお渡ししましょうか?」と言ったら、「近藤さんが取りに行くよ」って。「えっ」と思ったんですが、本当にピンポーン、「近藤です」と言って来た。「近藤です」と本当に言ったんです(笑)。
 お仕事はその『四谷怪談』のときはできなかったんですけど、昔の赤坂のプリンスホテルで青井さんと近藤さんとで一回打ち合わせをやりましたね。この現場で顔を知っているのは近藤さん以外いなかったですね。皆さん知らなかった。近藤さんとは『花たち女たち』以来親しくさせていただいてます。
児玉 顔合わせのときというのは、どんな感じでしたか。
加納 緊張はしましたけど帝劇を経験していたので、こんな感じだろうなというのはありましたし、またいろいろ気を使っていただいて。稽古前に八重子さんが「お食事しましょう」と言ってくれて、六本木でお会いしました。僕は着物以外で洋服を着ていらっしゃる八重子さんの後ろ姿を初めて見て。グラマラスなんですよ。足がひゅっと長くて、ダンスをやっていらっしゃったから、ふくらはぎのお肉の形がものすごくよくて、おしりがぴゅっと上がっていて。ミニスカートにこんなピンヒールを履いて、六本木の街をカッカッカッ、こっちですと言って、二軒ぐらい連れて行っていただきました。カッコいいと思いましたけどね。
日比野 そのころは、五十歳くらい。
加納 いや、六十歳はいっていると思いますよ。
児玉 昭和一四年[(一九三九)生まれ]ですよね。
日比野 そうすると、『芝桜』と『木瓜の花』を合わせたのをやりたいと言ったのは松竹ですか。
加納 松竹さんです。
日比野 ついては加納さん、やってくれないかという話が出た。
加納 はい、そうでした。
日比野 さすがにこの時期には、新派の舞台は何度もご覧になってる?
加納 もちろん見てます。この公演で[藤間]紫さんともご一緒して。
児玉 そうですね。
加納 何が面白いって、そのとき「紫さんがちょっと演出家とお話をしたい」と言っているんですけど」と言ってきて。「えっ、何だ、それは」と思って。脚本家の飯島さんと一緒に、帝国ホテルのロビーラウンジまで行ったんです。帝国ホテルは、猿之助さん[現・二世市川猿翁]が定宿にしてらっしゃったんですが。
児玉 ああ、泊まっていたころの。
加納 紫さんと何の話をするんだろうと思ったんですが「私にこんな役ができるかしら」から始まって、結局芸談を三時間聞きました。ああ、そう、面白いですねと聞きながら、最後にマネージャーが「紫は舞台で恋をしたいんですよ」と。それで「よしっ」というので、原作にはないんですけど紫さんの役に恋人が登場するように飯島さんが書いて、安井[昌二]さんが急きょ出演することになって。
日比野 どうして、加納さんと飯島さんを呼んだんでしょうか。
加納 きっと初めてだからちょっと話も聞きたいわという気持ちもあったんじゃないでしょうかね。
児玉 どれぐらい話が通じるかというのを見てみるというのもあるんですかね。
加納 それもあるかもしれませんね。
児玉 紫さんの芸談というのはどこから始まるんですか(笑)。
加納 何かいろいろな猿之助さんの話をずっと聞いたように思いますし、本当に、「あ、終わったら、三時間たってた」みたいな感じでしたね。猿之助さんともその前後の時期に帝国ホテルで話をしました。横内[謙介]君と三人で、それも三時間ぐらいずっと。
大原 この公演のときは「ネオ新派」という看板がついてましたね。
加納 そうです。「新派二十一世紀バージョン」という冠がついてましたね。でも、これが最後でしばらく演舞場に新派がお出にならなかったのは、僕のせいかなとか思ってちょっと落ち込んでいたんですけれども。ずっと三越劇場に行ってしまって。
日比野 それは加納さんのせいではないですが、やっぱり勝負を懸けたんですよね。
加納 そうなんでしょうね。あまり大入り満員にはならなかったみたいですし。でも現場は、いろいろなことがありましたけど楽しかったですね。一條久枝さんとも……。
日比野 何か、一條さんからかんざしをいただいたという話をブログで読みました。
加納 「花柳[章太郎]先生からもらったんだけど、私はもうこれは使わないし、あなたなら使う機会があるだろうからあげるわ」といただいて。
日比野 このときは新派で、英太郎さんが出てないですよね。
加納 英さんは出てなかったですね。
日比野 役は誰がお決めになったんですか。
加納 松竹さんだったと思います。
日比野 そうすると、演出家として配役を知ったのはいつですか。
加納 配役は一切松竹にお任せなんですよ。
日比野 稽古スケジュールは、加納さんの主導権で決めるんですか。
加納 それはお任せしました。帝劇のときも「どうしましょう」と言われて「僕は分からないので帝劇のやり方でどうぞ」と言ったら、帝劇は演劇部がものすごくしっかりしているので、一週間のスケジュールを細かく全部出してきて、「第一幕を一週間で作りましょう」「はい、わかりました」とやっていましたね。
日比野 「ここはどうしても納得いかない」とかいうことはなかったですか。
加納 それはあんまりなかったと思います。わりとご要望にお応えして、はい、はい、とやってましたね。幸い帝劇と新派はベテランさんが出ていらっしゃったので、細かいことでも、こうですよと言ったら素直におやりになる方ばっかりだったので、そういうところでは心配ではなかったです。
日比野 台詞覚えはどうでした?
加納 皆さん、わりと早かったですね。結局はカットになった場面なんですが、新派の日芸の先輩が、何人かで歌舞伎を見に来たお客という設定で花道から出るというくだりがあったです。「先生、この時期は[芝居は]何が掛かっているんでしょうかね」と言うから、「この人が出ていてもおかしくないですよね」「ああ、そうか、じゃあ、この演目ですね」「うん、そうだと思いますよ」と言ったら、花道から「今日は誰それが出てこの役をやるから」と言いながら出てきた。そこからぱっと作っちゃうのはすごいなと思いました。
日比野 ネオ新派をやるという企画が最初に来たときに、松竹の方からそれについての意気込みについてはどのくらい説明があったんですか。それとも、「まあ、やってよ」的で説明がなかったか。
加納 僕も若かったと言ったら変ですけれども、そこまでは追求しない。僕はわりとそういうところでは「ああ、分かりました」とやっちゃう方なので。

松竹と東宝、双方の演出を手掛けて


日比野 では、二〇〇三年の『夜叉ヶ池』のときのお話をお聞きします。これはグローブ座をジャニーズが取得したあとの公演ですね。加納さんは構成・演出を担当し、白雪姫役で出演されています。
加納 グローブ座が「劇団丸抱えで何かやってくれ」と言ってきて、いろいろな人に相談して、「新作よりも花組で定番になっているものでやった方がいいんじゃないか」と言われたんです。たまたま、[ジャニーズから]二~三人出演を、という話だったので「じゃあ、『夜叉ヶ池』がちょうどいいんじゃないかな」と思ってやったんですけど。佐藤アツヒロ君も話を聞いてくれる子ですし、[松本]莉緒ちゃんもまじめな子で、オカケン[岡本健一]は頭いいし、稽古は全然問題なくいきました。
児玉 松本莉緒は昔の松本恵ですよね。
加納 はい。目のくりっとしたかわいい子でした。
日比野 続いて、東宝芸能の『OINARI』[二〇〇三年]。加納さんは演出と、春山鉄太郎役で出演されています。脚本は中島かずきさん。これはやっぱり東宝とは違いましたか。
加納 東宝芸能のプロデュースで、東宝芸能はプロダクションで劇場を持っていらっしゃらない。貸し劇場で公演するんですね。演舞場も帝劇も、いわば自社ビルで芝居しているから、舞台稽古もエンドレスなんです。
 子供のときに見た歌舞伎の入門書に「役者が大道具をチェックする道具調べ」と書いてあった。でも、現場に行ったら道具調べとはそうじゃなかったんですよ。大道具を飾って、小道具を置いて、照明を決めて、転換はどういうタイミングなんだというのを役者抜きで決めていくという一日なんです。
 だから、次の日に役者が入ったときにはすべて出来上がっております、という状態にしておかないといけない。それを逐一やらなきゃいけないんです。幕がこう開いて、小道具はこれでいいでしょうか。置き道具は、照明はこう変わりますというのを逐一やったら、帝劇のときは終わったのが夜中の四時でした。四時に終わって「先生、ホテルを用意しております」「どこですか」「帝国ホテルです」と。
 ちょっといい部屋だったんですよ。ガラス棚にお酒の小瓶がずらーっと並んでてね。うわー、と思ったんですけど、次の日朝九時に入らなくちゃいけないので、この部屋には三~四時間しかいられないのかと。もうともかく、寝るだけでした。
日比野 四時までいらしたときは、加納さん以外に何人ぐらい残って?
加納 スタッフ関係は照明さんも劇場の大道具さんも全部いました。ともかく役者はいなくて。
日比野 まさか、全員帝国ホテルに泊まったわけでは……。
加納 じゃないと思います。あとはタク券が出たか、じゃないでしょうか。それは演舞場のときもそうでした。東宝芸能では、そういう形ではなかった。東宝芸能では僕らと同じように、役者と一緒に全部作っていくというパターンでしたね。
日比野 さすがに松竹や東宝のやり方では、役者さんは残せないですよね。
加納 遅くなりますから、残せないですよね。東宝芸能のときは、もちろんすんなりと作れたことは確かですし、宮本信子さんも元はといえば新劇の方ですから、込み入ったことも全然オーケーでしたし、皆さん順調でした。
日比野 中条きよしさんなど、いろいろなキャストが出演されてましたね。
加納 はい、そうでした。[柳家]花緑君も大きい舞台はこれが初めてだったんですよ。これは東宝芸能のプロデューサーが「エノケンに当たる役なので芸人さんがいいんですけど誰かいませんか」と言って、「あっ、踊れる芸人がいる」と思って花緑君にお願いしたんです。花緑君はバレエダンサーの小林十市さんの弟で、子どもの頃、お兄さんよりも早くバレエを習い始めたんだそうです。そうしたら、花緑君はしばらく行ってなかったバレエ教室に通い始めましたよ。本番ではクラシックバレエをバーンと踊らせて。
日比野 いろいろなバックグラウンドを持っている方たちとやるのは、ご苦労がありましたか? その辺は柔軟に対応された?
加納 特に苦労ということはなかったですね。うちの役者がぞろっと出ていましたし、[劇団☆新感線の]粟根[まこと]君も出ていましたし。村田[雄浩]さんは以前は小さい劇場でやっていましたから、小劇場の大変なことは分かってくれていますし、橋爪[淳]さんは同世代ですから「何でもやりますよ」と言ってくれました。これはこれで楽しかったですね。
日比野 次は二〇〇四年のワンダー・プロダクション主催の『狂風記』。石川淳さん原作の作品で、12th東京オピニオンズフェスティバル参加作品です。加納さんは新川眉子役で出演しました。
加納 これは脚本・演出の塩見哲さんが『狂風記』をやりたいと長年願っていた企画なんです。塩見さんが一度体調を崩されたということで、ワンダー・プロダクションとしてはともかく悲願の『狂風記』をやらせようということになったようで。そこで、花組芝居から水下きよし・原川浩明・山下禎啓・北沢洋・横道毅の五人と、麿赤兒さんの大駱駝艦から何人から出ていらっしゃって。
日比野 これはもう、現場の雰囲気としては商業演劇という感じではなかったですか。
加納 ではなかったですね。規模は商業演劇でしたけれども。
日比野 藤井びんさん、マメ山田さん、大駱駝艦の我妻恵美子さんなどが出演された。
加納 はい。ですから、そういう世界を勝手知ったる連中ばっかりで。まあ、突然いろんなことを言い出す塩見さんに皆でついていく、という感じでした(笑)。
日比野 アートスフィアでやっていた、オピニオンズフェスティバルって面白いけれど企画先行で、全部ある意味ではきわものだったような。
加納 いや、個人的には面白かったんですよ。作品は、ちょっと訳が分からないぐらいな作りだったんですけど、面白いものを考えているなと思ったんですけどね。でもこれは一般受けしないだろうなというのは、稽古をしていても思いました。
日比野 市原悦子さんを使うというのは。
加納 塩見さんとご夫婦なので。
日比野 じゃあ、市原さんも塩見さんの言うことは聞いてらした。
加納 塩見さんが訳の分からないことにがんがん怒ったりすると、市原さんが「大きな声出さないで」と叱ってらっしゃいました。奥様がお叱りあそばした、みたいなね(笑)。
日比野 あの声でね。
加納 面白いなと思っていました。

商業演劇作品演出の難しさ


日比野 加納さんの次の商業作品演出は松竹の『夏ノ夜ノ夢』[二〇〇六年]。[四代目]尾上松緑さん主演です。これはどうでしたか?
加納 僕がやりたいことをちらっと入れつつ、でも全体はいつもの『夏の夜の夢』みたいになった。仕上がりは何とも中途半端になってしまいました。
日比野 加納さんが最初の段階でご提示した『夏ノ夜ノ夢』の演出プランというのは、喜劇じゃなくてもっと。
加納 はっきり言うと、秋元松代みたいな作品にしましょうよって。
日比野 ああ、それは面白かったですね。
加納 東北の過疎の村に都会から人間が入ってくることによって、村の秩序が乱れるという話にならないか。それが『夏の夜の夢』の基本的な構造であって、その方向なら日本に置き換えることができるから、と。その僕が考えた『夏の夜の夢』は、実は花組芝居で二〇一四年にやった『夢邪想』で実現させたんですけど。
日比野 このときの衣裳は。
加納 前田文子さん。もちろん事前にプランを見せてもらって「どうですか」「ああ、いいんじゃないですか」という感じでした。彼女のセンスはとてもよかったですね。
日比野 松緑さんはどうでしたか。
加納 松緑君はわりと「何でもやるよ」という人でしたね。
児玉 ブログとか読むと少し心配になるけど、意外といい人らしいですね。
加納 そうです。ちょっと「てやんでぃ、ばかやろう」みたいになることはありますけど、気を許した人間にはもう何でもやってあげるようなところがある。
加納 僕らに対してはとてもざっくばらんに接してくれた。何かというと僕らと飲みに行ったりとかしていました。
児玉 わりとこの『夏ノ夜ノ夢』の同窓会をやっているんですね。
加納 ああ、そうです。
児玉 松緑のブログに書いてましたね。
加納 当時、何度か松緑邸に行ってどんちゃん騒ぎしていましたね。松緑君はこれ以降わりと古典に入っていって。吉右衛門さんのところに行ったりしているのは、それは本人にもすごくいいことだと思うよという話をしたんですけどね。
日比野 この『夏ノ夜ノ夢』は大阪松竹座でも上演されましたが、仕切りは東京の松竹ですか。
加納 東京の松竹です。
日比野 でも、日生で上演したのは。
加納 おそらくこの企画だから日生ということじゃないでしょうか。
児玉 演舞場じゃなくてということですね。
加納 はい。
日比野 藤間流家元[尾上松緑]がいるにもかかわらず、振り付けが井手[茂太]さんなんですね。
加納 これは僕が「誰かいますか」と聞かれて、「イデビアン[・クルー]がいいよ」と言って。
日比野 みんな、イデビアン風の踊りをやったんですか。
加納 村井国夫さんでさえやっていましたね。
日比野 松緑さんはどうでした?
加納 松緑君にはその振り付けで踊るところがなかったので。
日比野 二〇〇六年の新橋演舞場『和宮様御留』。有吉佐和子原作、加納さん脚本で、橋本実麗役と勝光院役で出演されています。これは松竹の公演ですか?
加納 松竹です。二〇〇二年の『花たち女たち』のときに、[娘の]有吉玉青(たまお)さんと知り合えたので、玉青さんに「有吉[佐和子]さんの本で実はやりたいのがあるんですけど、どうでしょうか」という話をして、許可が下りて『和宮様御留』を花組芝居で[二〇〇四年に]やったんですよ。それを松竹のプロデューサーが見に来て、「面白いからぜひ演舞場でやらせてくれ」と言うので。
日比野 演出に竹邑類さんを呼んだのは?
加納 竹邑さんしかできない顔ぶれですよ。チラシが上がって『夏ノ夜ノ夢』の現場で見せたら、村井国夫さんが「見に行くけど楽屋には絶対行かないから。こんな怖い楽屋は行けねえよ」って(笑)。
児玉 小川[眞由美]さんは実際にはどうでしたか。
加納 「これはなんでこんなこと言うの?」「いや、原作に書いてあったから」「いや、あなたが書いたんでしょう」と小川さんに怒られたことがある。
日比野 竹邑さんが新橋演舞場でやるということ自体がすごいね。
加納 ちょっと珍しかったかも分からないですね。
日比野 劇場付きの道具方の人たちはどうでした?
加納 みんなぶーぶー言っていました。場面が多かったので「何だ、カップラーメンも食えねえよ」とか言っていましたね。すみません、みたいな(笑)。
児玉 逆に[軽口が]言えるぐらいの打ち解けた雰囲気だったということですね。

俳優・女形として、数々の舞台に出演


日比野 二〇〇七年、メジャーリーグの『シラノ・ド・ベルジュラック』。市川右近さんと安寿ミラさんが出演された作品で、加納さんはド・ギッシュ伯爵役で出演しました。これも現場としては商業演劇かどうかわからないですけど。
加納 そうですね。演出の栗田芳宏さんが現代演劇の方なので、稽古も普通でしたね。以前は、澤瀉屋にいらっしゃったりした方なんですけど。
日比野 右近さんも歌舞伎以外の経験があるから。
加納 そうですね。
日比野 歌舞伎特有のやり方を押し付けるみたいなこともない?
加納 ああ、それはないですね。
日比野 [市川]猿弥さんはどうでした?
加納 猿弥さんは、うまいんですよ。何でもできちゃう。初めてご一緒して「うわっ、こんな人がいるんだ」とびっくりしましたね。詳しく存じ上げなかったんですけど、[三代目市川猿之助の]部屋子からで、昔から踊りもちゃんとやっていらっしゃる方で。
児玉 彼は何でもできますよね。
加納 びっくりしました。僕はいわゆる[国立劇場の]研修生出身だと思っていたんですよ。生粋の方なので、「どおりでちゃんとした[歌舞伎の]匂いが出るんだ」って。右近さんもそうですけど。
日比野 そして、二〇〇八年コマ・プロダクションの『恋はコメディ』、これこそザ・商業演劇という舞台を演出しました。
加納 そうですね。これは久しぶりに商業演劇でしたね。
日比野 二〇〇八年は、新宿コマ劇場はまだありましたよね。
加納 ありました。
日比野 コマの仕切りで、ル テアトル銀座でやったというのは……。
加納 どうなんでしょう。最初からル テアトル銀座でやるというお話でした。
日比野 これはどういうきっかけだったんですかね。
加納 原作のタイトルが『泥棒家族』で、テレビドラマとついちゃうんで、コマがどうしようと渡辺えりさんに相談したときに、渡辺えりさんが「『恋はコメディ』というシャンソンの曲があって、これを使ったら」と言ったというのがきっかけだとか、聞きました。だから、「そう言ったのに何で『恋はコメディ』の曲を使わないの」と言われましたけど、それはそういう脚本じゃないから。
日比野 脚色の岡本さとるさんと組むのは、その前もあった?
加納 一緒に仕事をしたことはないですが、存じ上げてはいました。歌舞伎の脚本を書いてらっしゃる方ですし。現場で会ったときは、「何で僕らに和物をやらせてくれないんだろうね、何で翻訳劇なんだろう」という話をしてました。
日比野 じゃあ、岡本さんと加納さんは別々にお話が来た。
加納 はい、別々でした。
日比野 もしかすると渡辺えりさんがお二人にと言ったんでしょうか。
加納 ルリ子さんじゃないかな。僕は個人的には、翻訳劇を大きいところで演出するのは初めてで、自分で言うのもなんですが、その割にはちゃんと面白くできたと思います。浅丘ルリ子さん、渡辺えりさん、秋吉久美子さんという学校[出自]が違うお三人で、しかも石井一孝さんで風間俊介君という、この五人しか出てこない芝居だったので、それはそれで面白かったですね。これは配役がよかったのかな。
日比野 もちろん配役も最初から決まっていた。
加納 はい。ご依頼の演出です。
日比野 名鉄ホールほか全国巡演がありました。
加納 僕は名鉄の何日目かにしか行かなかったですね。別の仕事が入ってしまって。
日比野 二〇〇八年ココロ公演事務局の⾳楽劇『ぼんち』です。沢田研二さんが主演。山崎豊子原作で市川雷蔵主演で映画化した作品の舞台化です。加納さんは足袋問屋の当主・佐野屋役で出演しました。面白い企画だと思うんですけど、これはどこから出演の話が?
加納 これは、わかぎゑふさん、[通称]ふっこさんが僕を候補に挙げたんだと思います。
日比野 わかぎさんとはどこからのお付き合いですか?
加納 最初は、[中島]らもさんがリリパットアーミーをやっていらっしゃったときに、うちの木原[実]が出ていたんですよ、それでだんだん近しくなっていったので、長いお付き合いですね。花組の脚本[『百鬼夜行抄』『百鬼夜行抄2』]を書いてもらったりしてますから。おそらく、ふっこさんが僕を候補に挙げたんじゃないかな。
日比野 これは、わかぎゑふ企画だったんですか。
加納 ではないです。ジュリー[沢田研二]の事務所の企画です。
日比野 『ぼんち』という演目も、ジュリーが言い出したんですか。
加納 どうなんだろうな。基本的にはマキノ[ノゾミ]さんとジュリーとでいろいろ演目を決めているらしいんですけれども。必ず関西物なんですよ。『ぼんち』の候補が挙がって、ふっこさんが書いてということになったんじゃないですか。これは想像なんですけれどもね。
児玉 たぶん、ジュリーの念頭にあったのは、[市川]雷蔵なわけでしょう。
加納 そうです、そうです。
日比野 ココロ公演事務局というのは。
加納 これはジュリーの事務所ですね。
日比野 二〇〇八年ウォーキング・スタッフプロデュース『剃刀』。加納さんは為吉役で主演しました。これはまさしく、小劇場系の演出家でいらっしゃる、和田憲明さんの演出。企画は和田さんですか?
加納 ウォーキング・スタッフが演目を選んでいるみたいなんですけれども、幾つか提案された中で[中村吉藏の]『剃刀』を憲明君が「面白そうだからやってみようか」ということになったようです。ウォーキング・スタッフのプロデューサーが僕を候補に挙げたのかな。和田さんの芝居には花組の役者は何人か出ていたんですけど、僕は直接仕事をしたことはなかった。一回面談したいというので会って、「こんな芝居です」とかいろいろな話をしていたら、憲明さんが「加納さんそのままで舞台に出てくれませんか」って。理容室の理容師だという設定だけでもって、女形でもないし、役柄でもない。そのままで出てください、と。
 和田憲明というのは、あちこちに名が轟いているようにものすごい稽古をする人なので、それを一緒に経験した中川安奈とは戦友みたいな感じがしてね。夫婦役だったんですよ。
日比野 シアタートップスは初めてでしたか。
加納 初めてではないです。花組芝居ではやったことはないですけど、ずいぶん前に劇団め組が『新雪之丞変化 暗殺のオペラ』をやったとき[一九八八年十二月]出演しています。
日比野 次はアトリエ・ダンカンプロデュース『サド侯爵夫人』。二〇〇八年グローブ座での公演で、加納さんがモントルイユ夫人で出演。篠井英介さんがルネ役でした。
加納 これは稽古スケジュールが取れなくて、最初は無理だと言ったんです。「演目はやりたいけど、生半可なことじゃやりたくないです」と断っていたんですよ、実は。そうしたら、アトリエ・ダンカンの社長[池田道彦]が僕がいないときに事務所に直談判にいらした。社長に直談判に来られたらこれはやらなきゃいけないだろうということで引き受けたんです。でも、仕事が重なっていて、結局疲労が原因だったんだと思うんですけれども、ウィルス性の結膜炎になっちゃって。
日比野 公演中?
加納 稽古中になっちゃったんですよ。ウィルス性の結膜炎って抵抗力が落ちるとかかるので。しかも接触感染するので、稽古場でも「僕に触らないでください」みたいな状態で端っこに座っていて。
日比野 しかし我々にとっては大変素晴らしい作品でした。
加納 僕としては悔しいんですよ。
日比野 ああ、もうちょっとベストな状態でやりたかったと。
加納 稽古が煮詰まってない状態で幕が開いていますし。だから全部、台詞がどこかで間違っていたり、詰まったりとかしていたんですけど。変な話、ヒラミキさん[平幹二朗]が来ると聞いて、そのときだけ完璧に言えたんですよ。
日比野 いい話だな。さすが役者根性って感じですね。
加納 ちょうど、ヒラミキさんが『山の巨人たち』に出ていらっしゃるときに見に来て、その作品に男爵の役があったんですって。ヒラミキさんが「男爵」と言わなきゃいけないのに、『サド侯爵夫人』を見た次の日か何かに、「侯爵」と言ったそうです。植本[潤]がその舞台で共演していたので、聞いたんですけど。そんなに気持ちに残ってくれていたのかと、ちょっと嬉しかったです。その後、ヒラミキさんはついにモントルイユをおやりになって。
日比野 稽古時期がバッティングしていたということは、企画自体の立ち上がりが遅かったということですか。
加納 いや、そんなことはないです。もうすでにこっちのスケジュールが決まっていて。
児玉 篠井さんとの共演は。
加納 [花組芝居を]辞めて以来ですかね。
児玉 プライベートで会うのもそれ以来ですか。
加納 ああ、そんなことはないです。舞台はともかく辞めて以来でしたね。だから、初日にうちの古いスタッフがぞろぞろ見に来ましたよ。
大原 私も初日に行きました。
加納 ロビーでは英介ファンと花組ファンが、ちょっとバチバチバチっと火花を(笑)。その話はいろいろネットでも書いてあったので、「うわっ、ごめんね」みたいな。
日比野 面白いですね。続いて、二〇〇九年脇組プロデュース『BASARA〜謀略の城〜 シェイクスピア『マクベス』より』。加納さんは艶の方役で出演しました。作・演出の脇太平さんという方はどういう方ですか。
加納 脇さんは、『シカゴ』の日本初演に宮本亜門さんと一緒にアンサンブルのダンサーでオーディションに受かって出演されていたという方で。その後誰かの伝手で、日光江戸村のパフォーマンスの演出を任されたり。時代劇なんか全然知らないのに演出を任されて「どうしよう」というので本格的に剣術を習いに行ってから、時代劇が好きになって。それでいつも時代劇をプロデュースなさってたんですけど。
日比野 個人の名前が付いているプロデュースにしては、規模はそれなりに大きかったわけですよね。
加納 タップチップス企画というプロダクションの社長の赤尾マーサさんが、キャスティングプロデューサーとしてついていたんですよ。それで、僕を入れたいという話になった。あとは、ちょうどこの直前に松竹の『SUPER MONKEY〜西遊記〜』が公演中止になって、うちの役者[植本潤]も含めて一カ月仕事がなくなった役者を三人(植本潤、押田健史、蓉崇。押田は後に花組芝居に入座しました)引き受けるということになって。
児玉 和央ようかさん降板で公演中止になった。
加納 はい、そうです。俳優座劇場に四〇何人出てました。
日比野 スタジオライフの俳優さんと共演ですね。
加納 ええ、奥田[努]君と仲原[裕之]君は体が動く二人で王子様タイプじゃなかった。彼らはちゃんと立ち回りもやっていましたね。
大原 加納さんは女形で出られたんですね。
加納 マクベス夫人[にあたる役]をやったので。天宮良さんがマクベスをやっていたんですよ。
日比野 天宮さんはどうでした?
加納 天宮さんは、それはちゃんと芝居ができる人ですから。
日比野 二〇〇九年『ドリアン・グレイの肖像』。これはアトリエ・ダンカンプロデュースでした。加納さんはヘンリー卿役で出演しました。
加納 はい。これは面白かったな。いい役をもらって、山本耕史君とけんけんごうごうとやる役だったので、楽しかったですね。
日比野 演出のスズカツ[鈴木勝秀]さんとは。
加納 『サド侯爵夫人』以来、二回目ですね。
日比野 二〇一一年のG2プロデュース『ギルバート・グレイブ』に出演されていますけれども、これはどうでした? キャストもちょっと面白いメンバーというか。
加納 メンバーは面白かったですし、[寿]ひずるさんとはご縁があって[坂東八十助と]ご結婚中にご夫婦でうちの芝居を見に来てくださったんだけど、離婚なさって。
日比野 ああ、そういうことですね。仕事でご一緒されたのはこれが初めてですか。
加納 共演は初めてです。
児玉 G2氏はわりとひずるさんを使いますね。
加納 そうですね。
日比野 グローブ座と森ノ宮ピロティホールで上演というのは、どういう関係で?
加納 これはどういう関係か分からないですけど。
日比野 森ノ宮ピロティは公共劇場ですか。
大原 公共劇場ですね。これは、ジャニーズ系の公演ではなかったですか。
加納 そうですね。
日比野 そうか、G2プロデュースだけど、実際の仕切りはジャニーズ。
加納 丸山隆平君が主演で東京グローブ座ですからね。
日比野 どんどん進めていきますが、二〇一四年の⾳楽劇『悪名~The Badboys Return!』。福原の元締役で出演しました。
児玉 これは、再びジュリーとですね。
加納 そうなんです。前回『ぼんち』に出たときは土居[裕子]さんと土田早苗さんと僕とでいわゆるゲスト枠の中で出ていたので、二度目の出演はないと思っていたんですよ。回りの顔ぶれは同じでも、ゲスト枠って必ず毎回替えるじゃないですか。そうしたら、また出てくれと言われて。実は来年[二〇一六年]再演が決まっていて。
日比野 あっ、そうですか。
加納 はい。
児玉 もちろんジュリー主演で。
加納 そうですね。ジュリーは芝居が好きで、熱心なんですよ。気取りがないというか、リュックサックを背負って電車で通勤なさるし、稽古場の近くでよさげな店に一人で入って飲んじゃうんですよ。それで次の日の稽古場に「あそこにいい店があったよ、行こう行こう」と言って。
児玉 『悪名』というのは、ジュリーはカツシン[勝新太郎]への憧れがあって選んだんでしょうか。
加納 カツシンがジュリーにはまるんじゃないかということだったので。評判もよかったようで、来年やるのはステージ数が増えているんですよ。
日比野 二〇一五年のセガゲームス『龍が如く』。加納さんは神宮京平役で出演しました。これはゲームを舞台化した、いわゆる二・五次元ミュージカルですよね。
加納 そうですね。ミュージカルではなかったんですけど、いわゆる二・五次元作品。
日比野 あ、ミュージカルではなかった。
加納 はい。[脚本・演出の]田村[孝裕]君も頑張ったし、みんな一生懸命の子ばっかりでいい現場でした。
大原 面白かったです。
加納 うん、よくできていた。

歌手演劇の現場に立って


日比野 そして、ぜひ行きたかったんですけど遠くて断念した『石川さゆり特別公演』。二〇一五年博多座の公演です。加納さんは料亭大徳の女将役で出演しました。これは歌手演劇の公演。
加納 G2の芝居を見に行くたびに石川さゆりさんが来ていて、何でだろうと思っていたら、さゆりさんがG2の舞台を見て気に入って、度々脚本や構成をお願いしていたそうで。ついに今回初めてG2に演出までしてもらうというので、G2がまず僕の名前を挙げたんだそうです。博多座さんに聞いたら、「すごく早い時期にあなたの名前が挙がっていましたよ」と言ってました。そしたら「女形で出てほしい」と。女形一役で商業演劇は、大きいところだと初めてに近いかもしれないですね。
日比野 すみません、私はストーリーも知らないんですけど、どういう話だったんですか。
加納 博多人形を今の地位まで高めた人形師、小島与一の妻となった人の話で、石川さゆりさんが人形師の奥さんの役。この奥さんは元芸者なんですよ。初め「加納さん、三味線弾ける?」と聞かれて。最初はさゆりさんのライバル芸者みたいな設定だったんですけど、俺はいい歳だしな、というので、結局女将の役をやりました。
日比野 それはちゃんとした女形であって、いわゆるおかまの役ではないわけですよね。
加納 ないです。そして僕以外は全部女優さんが演じました。オカケンとは初めてじゃないですし、髙橋由美子ちゃんとは初めてなんですけど花組の役者も何人か共演していますから存じ上げていて。西岡德馬さんとは初めてでしたが、西岡さんもさすがに新劇[出身]の方なので、「加納ちゃんが女形一人で入るという意味は、やっぱりわかるようにしないといけないんだよね」と言ってね。面白かったですね。
日比野 商業演劇にもいろいろあると思うんですけど、歌手演劇というのはちょっと特殊な現場かなと、外から見るとそう思ってしまうんですが。加納さんとしては体験なさってどうですか。
加納 僕の印象では、石川さゆりさんが真摯でちゃんと芝居したいという人なんです。だから、「歌手芝居だから、こんな程度でいいのよ」とかいうことはまったくない。もちろんアンサンブルの方は商業演劇全般そうかもわからないけど、主役の邪魔しないように、邪魔しないようにという芝居をだいたい要求されるので、言っちゃうと何もしないんですよ。
 でも今回のは、G2はそれが嫌だというので、アンサンブルの連中にものすごく細かく言って、芝居をしてもらって。石川さゆりさんのところの常連のアンサンブルの方は「こんなこと初めてです」と言ってました。
日比野 ああ、そうなんですか。最近、歌手芝居でもいわゆる商業演劇でも、脇でちゃんとやる人が多くなってきているので。
加納 そうですよね。
児玉 逆に言うと、その歌手さえ出ていればあとは見ないというような大スターがいなくなったんじゃないですか。
加納 それはそうかもしれないですね。
児玉 北島三郎の芝居なんて、本当に周りは何もしないようなもんですからね。
加納 さゆりさんは劇中では博多に伝わる子守り歌を歌っていらっしゃったんですけど、それはそれでやっぱりよかったですしね。
児玉 ああ、その後のコンサートで歌うんですよね。
加納 いえ、劇中で一曲歌っていました。
日比野 お客さんは入っていました?
加納 ある程度入っていましたね。また、装置が古川君なんですけど、凝りに凝っちゃって、いや、すごいセットなんです。博多座の劇場部というのは、大道具というのは、歌舞伎が来ますしジャニーズも来るので、要はノウハウを全部持っているんですよ。
児玉 宝塚も来ますね。
加納 宝塚も来るので、ノウハウを全部持っている。「これを作って」と言うとちゃんと作っちゃうんですよ。いやぁ、久しぶりにすごい装置でした。細かいところまでちゃんと作ってあって。
日比野 じゃあ、道具もすごく飾って。
加納 もちろん大飾りじゃなくて転換するように作ってあるんですけど、細かいところのディテールがものすごく凝って作ってあって。古川君が「ここ[博多座]は本当に技術を持っているんだ」と言ってました。

「ザ・座長」がいなくなった今~幅広い観客層を持つ商業演劇を絶やさないために


日比野 それではそろそろ、まとめに入ろうと思います。加納さんも一九九四年を最初にすると約二〇年、商業演劇の多様な現場を一つずつ体験なさってきたと思うんですけれども。
加納 そう言われればそうですね。何だか節操ないな。
日比野 いやいや。どうですか、商業演劇をなさってきて、ご自分が積極的にこちらの世界に行くことはなさそうですかね。もちろん花組芝居があるわけですから、これ以上の関わり方はしないですか。
加納 他にやる方もいらっしゃるわけですから、特に僕が入っていって何ができるかと考えると、今まで以上のことはできないだろうと思います。『NINAGAWAマクベス』みたいなことを蜷川さん以外できませんね。そのために蜷川さんはちゃんと命を削ってやってきた人ですから、だからそれは誰もできないわけですよ。
 結局のところ、演出家とか脚本家というのは商業演劇の場合は雇われなんですよね。雇われで「これをやってくれ」ともらった条件をどれだけ生かして幕をあけるかというのは、商業演劇のいわゆるプロの脚本家、演出家としてのある種の基準なんですよ。そうすると、そういうのがうまい方がおやりになればいい話なので。僕は経験上、商業演劇へ入って、「わかりました」と言ってやろうとしても、いろいろな要素を掛け算にするという所までどうもできないみたいなので。
 役者としてはいろいろな方と絡んでみたいので、お話があってスケジュールさえ空いていれば、やりたくてしょうがないんですけど、演出家・脚本家となると、うーん、僕はそこまで適応能力はそんなに高くないですというのが正直なところですね。
 マキノさんやG2は、提示された条件でクオリティーのあるものがちゃんと書けるし演出できる。
児玉 G2氏はミュージカルの訳にまで、独自色を出してくるのがすごいですね。
加納 はい。彼は譜面を読める人ですから。『はかた恋人形』のときのBGMは全部オリジナルで、転換のタイミングを考えるために全部の譜面を取り寄せて演出していましたからね。マキノさんも譜面を読める人なので強いですね。鈴木裕美ちゃんも譜面が読める。彼女は絶対音感がありますから。
日比野 じゃあ、今のスタンスで、付かず離れずにいく。
加納 そうですね。
児玉 加納さんがご一緒した「ザ・座長」みたいな方は、浅丘さんと沢田さんでしょうか。
加納 そうですね。
児玉 その昔の三波春夫とは言いませんけれど、長谷川一夫のような「ザ・座長」みたいな人は、いまやいない。
加納 もういないでしょうね。
日比野 でも、いいか悪いかは別として、浅丘さんにしても石川さゆりさんにしても、非常にまじめにやっていらっしゃるという意味では、もはやそれは昔懐かしき座長芝居ではないということですよね。
児玉 北島三郎で終わったのかな。
日比野 そういうところには加納さんは呼ばれないという話も(笑)。
加納 まあ、そうかもしれません。
日比野 一度そういうところで加納さんにやっていただきたいなという気がするんですけど。
加納 いやいや(笑)。
日比野 たとえば、加納さんが平幹二朗さんと共演とかあったら必ず見に行っちゃいますけど。
加納 僕が平さんを演出するという話も、ずいぶん前に立ち上がったんですけど、なかなかスケジュールが合わなくて。『アントニーとクレオパトラ』で、もちろんヒラミキさんがクレオパトラでという話が上がったんですけどね。
日比野 へえ。それは素晴らしいですね。
加納 それはだめになっちゃって。
日比野 逆に、小劇場にはない商業演劇の魅力というのは?
加納 それはやっぱり観客層が広いということですね。僕は、観客層だけとればとても理想の現場だと思っているので、だから、絶やしてしまうのはもったいないと思いますね。
日比野 いまや商業演劇も、いわゆる団体客が入らなくなるとどうしようもないみたいですけど。
児玉 団体客はどこへ行っているんですかね、今。ミュージカルですかね。
日比野 まあ、そうですね、劇団四季は頑張っていますけど、観客がお芝居に行かないようになっちゃったんじゃないかな。
 商業演劇に関わり始めて二十年たって、特に大きく商業演劇の中身が変化したという感じはあんまりない?
加納 ええ。
日比野 さっき蜷川さんのお話がありましたが、蜷川幸雄さんが最初に東宝の現場に行ったときに、とにかく脇が全然やる気がないので怒鳴りつけたという有名な話があるわけですけれども。東宝で『西鶴一代女』をやったときは、もうすでに脇役はちゃんとやってくれていました?
加納 そうでした。手を抜いている人は全然いませんでしたね。
日比野 何か適当にやって、「あの人どこにいったの?」「いつの間にか帰っちゃった」みたいな人は?
加納 いなかったですね。たとえば浅丘ルリ子さんが[稽古していて]すごいスピードで台詞が入っているわけですよ。そうすると周りが手を抜いているわけにもいかんだろうみたいなこともあるし、今は小規模なプロデュース公演で商業系のものが出てきていますから、演劇的な質は上がっていると思いますね。ただそうなればなるほどお客が偏ってしまう。だから昔みたいにいろいろな人が見に来て、ワイワイやっているというのはなかなかない。下手をすればなくなってしまうかもしれないですね。
児玉 芝居を見慣れている客というのがだんだん減ってきている気がするんですけど。
加納 それは確かですね。
児玉 授業とかでそれこそ昔の新派の映像を見ると、花柳[章太郎]にしろ大矢[市次郎]にしろ、一挙一動にお客がざわざわ反応しますでしょう。学生たちは見ていて「あれは何を反応しているのか、笑いのツボが分からない」と言うんですよね。舞台で演技として行われていることと観客との反応とに、自分がついていけてないと。
日比野 ただ、花組のお客さんはついてきますよね。
加納 そうですね。
日比野 食いついてくる。
加納 それは一緒に年齢を重ねてきているから。
日比野 花組芝居という劇団がお客を育てているという部分はありますよね。
加納 どうでしょうかね。でも長年見ていらっしゃるのは確かです。だから、「子育てが終わったの」と言って戻ってくるお客さんとかいらっしゃるんですよ。